メイショ
横倉山・山登り(よこくらやま・2010年)
当ホームページを立ち上げたきっかけ
以前は、厳しい冬が過ぎ、暖かくなる春頃から剣山、三嶺山、石鎚山、東明石山等の四国の山々をよく登っていましたが、最近では登る機会がすっかり減って、年に1度か2度程度になりました。
ちなみに下記画像の2枚は、よく山登りをおこなっていた頃の、今から10年以上前に撮影した、四国で2番目に高い山とされる剣山頂上周辺の風景です。
私が最初に山登りを行なうきっかけになったのは、以前勤めていた会社のある同僚が一緒に登らないかと誘ってくれた事から。
それからは毎年のように一緒に山登りを行ない、彼の四国を愛する思いから四国の美しい自然、良さを知り当ホームページを作成するきっかけにもなりました。
そんな事から以前に山登りを行った時の写真が家のアルバムの中に数多く眠っていて、もったいないので今後は少しずつ当ホームページで紹介しようと思います。
4億年前の化石が発見されている横倉山へ
今回は、現在までに数多くの化石等が発見されている標高744メートル高知県越知町の横倉山に登りました。
横倉山は、シルル紀(4億年以上前)頃に、赤道付近の陸地がプレート(珊瑚礁を多く含んだプレート)の移動で長い年月をかけて現在の位置まで移動。
横倉山は、日本で最古の地質として知られ、花崗岩、石灰岩を豊富に含み、シルル紀頃のクサリサンゴやハチノスサンゴ、三葉虫など多くの化石がみつかっています。
世界的植物学者牧野富太郎博士が研究された山
こうした珍しい地質の為か、横倉山には何百種類もの植物が育ち、この山で新種として発見されたのが「ヨコグラノキ」「ヨコクラツクバネ」「トサジョウロウホトトギス」等の25種類の植物。
これらの多くの植物は、横倉山研究で知られている世界的植物学者牧野富太郎博士によって発見されました。
牧野富太郎博士は、越知町の隣町佐川町出身で横倉山で研究を続け、この山で、幾つかの新種等の植物を見つけ命名したようです。
彼が日本国内で、命名した植物は新種・変種合わせて2500種以上、約6000種の植物を発見し日本の植物学の基礎を築いた人。
私が横倉山に訪れるまでは、私と同じ四国の人なのに存在も知らず、訪れて見て初めて彼の存在を知る事になり不思議に思いましたが、今は身近に感じています。、
今回横倉山山登は、11月の秋の紅葉の時期に合わせ元同僚の友人と二人で目指しました。
午前7時川之江を出発。
三島川之江インターから西条インターまで高速道路を利用、西条インターからしばらくの間、国道11号線を走り、その後、加茂川沿いの国道174号線を走っていると渓谷の紅葉が思っていたより見事で綺麗でした。
その後、高知県越知町より仁淀川本流沿いにそって抜ける国道33号線を走り、やがて越知町の本村キャンプ場横倉県立自然公園入り口の鳥居に、ここから登り口までは後少し、でもここからが、時折ガードレールが無く、道幅も狭く、おまけに道がクネクネしているので何か恐ろしい。
それでもしばらく走っていると「平家の里、織田公園」にさしかかりました。ここで休憩を兼ね、あたりの風景をパシャバシャとカメラ撮影。
織田公園は春にボタンザクラ、ツヅジ、秋にコスモスの花が咲き、その他にも、登山道沿いの約800メートルの間に渡ってアジサイが植えられており梅雨時期になると鮮やかに花が咲きます。
でも私達が、訪れた時は、時期ハズレだったのか、あいにく何の花も咲いて無く、何となく寂しい風景でした。
織田公園から、もうしばらく車を進めて行くと横倉山第二駐車場へとさしかかります。
ここに車を止め、山登り用の靴に履き替え、水、弁当の入ってあるリュックを背負ってここから山登りの開始。
ちなみに横倉山には第二駐車場の他に第一駐車場と第三駐車場の三つの駐車場があるようですので用途に合わせ登るといいのではないでしょうか。
第二駐車場からの登山口には鳥居があり、なぜこんな所にあるのか?こんな光景を見るといつも不思議に思ってしまいます。
そんな事はともあれ鳥居をくぐって意気揚々と歩いていましたが、その後も鳥居、神社と何度か出くわし、その理由も歩いている内になんとなく見えてきます。
今までに何度山登りの経験があっても最初の登り始めは足が慣れていないのでキツかった。
でもそうこうし歩いている内に樹高50メートルほどの見事な大杉群が、その横に神社が建ってられていて表示版には、杉原神社と書かれていました。
後でネット等で調べたところ、この大杉の樹齢は400年から600年くらいだそうで、杉原神社の名称の由来は、周りに巨木の杉が多かった事からのようです。
そして大杉群の周りには、モミジガサ等さまざまな植物が群生し、本殿周りの彫刻が見事で、中には明治17年に奉られた、いかだ流しの大絵馬があります。
杉原神社から、もうしばら歩いていると全国名水百選の安徳水と表示される湧き水を発見。
ここで生で飲みたいところですが、昭和60年に水質検査をしたところ陽性と出ているので生で飲むのは止めた方がいい。
後で安徳水の事に関して調べたところ 安徳天皇が飲用したとされる涌き水と書かれていました。それで安徳天皇って誰だ?
知らなかったらすぐ調べたくなるのが私で、安徳天皇は1178年から1185年に生きた第81代天皇。でもこう見てみるとわずか8歳で亡くなられたようで、歴史上で
は壇ノ浦で平家一族と入水と書かれていました。
横倉山には、安徳天皇にまつわる話が多く、後で紹介する横倉宮には、安徳天皇が祭神として祭られています。
その後も歩いて山を巡っていくと、畝傍山眺望所、空水、横倉宮、馬鹿だめしへとさしかかります。
畝傍山眺望所からの見晴らしがよく眺めは抜群で高知市・土佐湾が望めむ事が出来、絶好の撮影スポットではないでしょうか。
空池は、見た目では何の変化も無いようですが、石灰岩の露出した特異な地形で岩に水分がしみこまない為か、乾地になっていて中央に窪みが・・・
空池から少し歩いていると、その後にたどりついたのが横倉宮。
横倉宮の起こりは、1200年8月8日、安徳天皇は23歳の時に山上の行宮で亡くなり、同年9月8日平知盛が玉室大神とあがめて横倉山頂に神殿を建てたのが始まりと書かれていました。
ここで可笑しいと思ったのは、安徳天皇が歴史上では8歳で壇ノ浦で入水と書かれていたのに対し、横倉山では23歳の時に山上の行宮で亡くなったと書かれていました。
どちらが本当なのか、実際は壇ノ浦の戦いで生き延び横倉山に逃げてきて横倉山で生活したのでしょうか?
その後、凄く険しい断崖絶壁の地点に到着。そこには馬鹿だめしと書かれていました。
馬鹿だめしは、4億年以上前の石灰岩の断崖で高さ約80メートル。まあ早く言えば、岸壁にどこまで近づく事が出来るかで度胸試しをする危険な場所。
度胸だめしをするのもいいが、ここから落ちたら本当に馬鹿の伝説が出来るかも?