その他旅行
石見銀山
今回の旅は観光バスでの旅で、行き先は2007年に
世界遺産に
登録された石見銀山です。
石見銀山は、最近テレビ等のメディアで紹介されることが多くなり、石見銀山に関しての
情報を色々と聞くようになり、行く前から、どんなところか気になっていたので今回の旅行を凄く楽しみにしていました。
朝6時に三島川之江ICにバスが迎えに来てくれ、そこからバスは、途中他のツアー客をひろうため高速には上らず、国道11号線、国道196号線を通って今治まで移動し全てのツアー客を拾って、今治北ICから、しまなみ海道を通って、本州に渡り、
福山西ICより山陽道を走り、広島JCTから
広島自動車道、
浜田自動車道を通って、
江津ICで下車、そこからは国道261号線等の道を通り、12時過ぎに銀山公園に無事到着しました。
今回の観光バスを利用して思ったことは、バスでゆられながら時間をかけた、のんびりとした旅もいいものです。
バスを降りて、バスの中で渡された地図をしばらく眺め、地図を頼りに、まず最初に龍源寺間歩に向かいました。
龍源寺間歩は、全長600メートルあるといわれ、現在一般に公開されているのがここです。
壁面に残っているノミの跡が、当時の様子を物語っています。
私は、新しく買った
ビデオカメラを片手に、あたりの風景を撮影しながら銀山川沿いの道をゆっくりと歩きました。
歩いていると少し汗ばんできますが、川のせせらぎ、鳥の鳴き声、豊かな緑の自然が心を癒させてくれ暑さを忘れさせてくれました。
歩いている途中には数個の間歩跡があり、間歩入り口には金網がかけられていて中には進入出来ないようになっていて、案内板がなかったら、とても
坑道(間歩)とは分かりませんでした。
そこからしばらく歩くと人ざかりが出来ているところがあり近づいてみると龍源寺間歩入り口でした。
間歩入り口前での人ざかりは、写真撮影している人とか間歩に関しての説明を聞いている人たちでした。
さっそく入場料金を購入して間歩の中へ入りました。
間歩の中に入った瞬間ひやりとし、冷房がきいているようでほどよい涼しさでした。
どのようにして掘ったのか? うわっとたまげるような岩で出来たトンネル(坑道)。
坑道の頭上は低く、人間の体内の
腸のようみも見える。
カメラをまわしながらゆっくりと坑道の先を歩くとひ押し坑(
鉱脈に沿って掘り進んだ穴)が坑道の左右の
壁面から20数坑あり、当時の坑夫の激務な労働が浮かんでくるようです。
坑道の壁面にはノミの跡が残っていて、こんな狭い空間で、よくもこんな細かい作業が出来たものか、よく考えてみると凄いことです。
自然に出来た
空洞ではなく、人間が銀の
採掘の為に掘った穴が数十年たつと
神秘的で
価値あるものに移り変わった感じがとてもよかったです。
間歩を歩いてみて初めて、石見銀山が世界遺産に登録された理由が分かったような気がしました。

龍源寺間歩を後にして、間歩から引き返し、清水
精錬所跡に。
清水谷精錬所は、今から100年前に当時の最高技術で銀の精錬工場を造られたものです。
しかし、生産を開始したものの産出される
鉱石の
質が悪く、生産は1年半で中止されました。
現在の精錬所跡は、手を加えられた様子はなく草で生い茂っていました。
精錬所跡を見て、銀山公園まで戻り、公園近くの羅漢寺の五百羅漢を
拝観することに。
五百羅漢は、大森の観世音寺
住職月海浄印と言う人が、銀山で働いていて亡くなった人の
供養や、労働者の安全のために
発願され、多くの人の
寄進によって、二十五年かかって明和三年(1766)3月に完成しました。
五百羅漢が祭られている中に入ると中には500体のお
地蔵さんがあり、1体1体が違う表情をしていて、見ていて心が和むというより、少々罰当たりなことをいいますが、不気味にも見え人の魂がのりうっているかのようでした。
五百羅漢を拝観した後、龍源寺間歩とは反対方向の熊谷家住宅の方に向かいました。

銀山公園から龍源寺間歩までは、自然の風景を楽しみましたが、熊谷家住宅までの道のりには、手造りの
工芸品を販売している店や、飲食店とかいろいろな店があり、思ったよりにぎやかでした。
そこで立ち寄ったのが、
武家屋敷の旧河島家。
代官所地役人だった河島家の住宅。
1991年(平成3年)に
復元修理が行われて以降、一般に公開されています。
江戸後期に建てられた河島家を後にして、しばらく歩いていると人盛りが出来ているところがあり、近づいてみると、そこには
パン屋が出店していました。
このパン店の一押しのパンはメロンパンでしたが、あいにくメロンパンは売り切れていました。それで揚げたてのカレーパンがちょうど出来たところだったので買って食べてみると、とても美味しかったです。

その後少し歩き熊谷家に到着。
熊谷家は、赤い瓦の町内で一番大きな家。
建てられた時期は江戸時代後期で17世紀には銀山の経営をし、その後、代官所の御用商人や
町役人も努め、
金融業や
酒造業も行っていました。
熊谷家に到着して中に入ると、案内人が丁度熊谷家のことを説明していたところでした。
説明によると、熊谷家は、平成の最初まで人が住んでいたとのこと。
平成13年に復元工事が
着工され平成17年に復元され一般に公開されるようになったとのこと。
中の様子は気品があり、風格がただよい思ったよりいいところで、お勧めのスポットです。
今回の石見銀山の滞在時間は時間は3時間でしたが、3時間ではとても回りきることが出来ず、また機会があったら、時間をかけて観光をしたいと思っています。