マツリ
川之江秋祭り(2011年・夜太鼓・商店街運行)
雨に見舞われ
今年の10月13日から行われた川之江秋祭りはとんでもないものとなりました。
最悪な事に祭り初日から最終日まで雨に見舞われた事。
以前から祭り3日間で1日くらいは雨に見舞われた事がありましたが今年のように毎日雨が降ったのはほとんど記憶にありません。
今回の取材は、10月14日、そんな雨の中、商店街(アーケード街)を中心に行いました。
仕事が終わって私が商店街に駆けつけたのは午後8時前。
商店街に到着した時、丁度馬場太鼓台が練りをおこなっていたところでした。
川之江太鼓台の売りは
川之江太鼓台の売りは、なんと言っても、この激しい練りではないでしょうか。
「よいさ ほいさ」と掛け声をかけながら、ゆっくりと練りながらアーケード街を運行する姿は見所の一つ。
激しい練りにより、時には公共物を舁き棒等で傷つけたりするので舁き夫達は注意を払わなくてはいけません。
太鼓台同士の練りあいは、お互いの太鼓台の舁き夫達の意地の張り合い。
練りあいをおこなってる舁き夫達は普通に運行する時よりもエネルギーを使うのではないでしょうか。
練りは、本当にしんどい行為ですが、舁き夫達の力量を見せる場面でもあります。
今でこそ綺麗に整備されたアーケード街(商店街)のアスファルト(石畳)を各地区の太鼓台がゴムタイヤで運行していますが、昔は商店街アスファルトが今のように整備されてなくゴムタイヤの以前につけていた鉄のゴマでの運行が可能でした。でも石畳を鉄のゴマで運行すると傷がつくという事で鉄のゴマからゴムタイヤに変わったようです。
昔はどの道路を運行する時も鉄のゴマだったので太鼓台が通った後はゴマの白い線の跡が道路に付いている光景をよく見かけたものです。
この鉄のゴマでの太鼓台の運行時に、ゴマが、ずしっとアスファルトにくいこんでいるいるような感覚が今でも私の脳裏に残っており、重くて中々動かず大変でした。
川之江太鼓台の運行を見守っていると、久しぶりに「ちょうそくたん」という舁き夫達の掛け声を聞きました。
はっきりいって随分聞いた事が無かったので完全に忘れていた掛け声です。
ちなみに「ちょうそくたん」とは、太鼓台が走っている時に使います。
馬場太鼓台、東町太鼓台等の太鼓台を舁ついでいる舁き夫達のいでたちが少し気になる。長襦袢じゃなく独自のオリジナルの衣装なのか、長襦袢の下に着る衣装に見えるが、 単に暑いから長襦袢を脱いでいるのでしょうか?
黒の地下足袋の者もいるが白の地下足袋を履いている者が目立つ。
こう見てみると長襦袢を着ない独自の文化が生まれつつあるのでしょうか。なんか寂しい感じもしますが、これも時代の流れなのでしょうか。
せっかくの豪華絢爛な太鼓台が
今回は、あいにく雨の中、太鼓台運行を見守っていましたが、
太鼓台には残念な事に雨を避ける為に透明のシートがかぶされていてせっかくの豪華絢爛の掛け蒲団等の刺繍がシート越しでないと見えないのが残念で、私のように太鼓台の静止画や動画を撮影する者にとっては最悪の条件でした。
川之江太鼓台豆知識
ここで少し話を変えて豆知識を紹介します。
川之江太鼓台は、だいたい太鼓台の前側を若い衆が舁つぐ事が多く、後ろに少し年配の方が担ぐのが一般的なようです。
太鼓台運行時は、責任者の総代(比較的年配)、支部長(若い衆)がいて、太鼓台の前を歩いて先導します。若い衆に直接指揮をとるのが支部長。
その他に太鼓台の前を歩いて御花を受け取る者もいて、御花を受け取ると川之江太鼓台独特の「ほうりゃーさーせー」と垣夫達が掛け声をかけながら太鼓台を前後に揺さぶります。
そしてその他に車を誘導する者もいて太鼓台運行時には絶対に欠かせません。
太鼓台が受け取る御花は、私が舁ついでいた頃は、一口500円から1000円が主流で全部で100万円前後になりました。
御花は祭り当日にもらうほか、祭りのあくる日に太鼓台を運行をおこなった地域を若い衆(舁き夫)達がもらいに歩きます。
その貴重なお金で太鼓台を直したり、若い衆らの飲食代にしています。
私が舁ついでいた当時は、祭りのあくる日、太鼓台の片付け等を済ませた後、その夜に打ち上げを行い、一週間後には堂開きをおこなっていました。
でも堂開って何故おこなわれていたるのかよく分かりませんが、自治会館集会場(公会堂)を開いて食事をする事の意でしょうか?
私が若い衆の頃、堂開きをした時に太鼓台を舁ついだ者が揃って食事をしていたからそう思っているだけで本当の意味は分かっていません。
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・2011年・3日目統一舁き比べ・弐