コウゲイ
手漉き和紙(てすきわし・2007年)
宇摩地方の和紙生産の開始
日本ほど和紙を生活に取り入れた国はなく日本は、紙と木の文化とさえ言われて来ました。
宇摩地方の手漉き和紙は、宝歴(1751年〜1763年)に始まるとされています。
明治30年代から大正2年までが最も盛んな時期で、宇摩地方全域で約765戸(川之江市内で350戸)を数えるほどでした。
しかし、昭和に入り機械抄製紙が増加する事によりその勢いは弱まり、川之江市(現四国中央市)に14戸、新宮村(現四国中央市)に1戸になりました。
宇摩地方の手すき和紙の技術は、 第2次世界大戦で使用された
風船爆弾の原紙を
抄く等、 その技は高く
評価されておりました。
現在も薄物である書道半紙が中心となって、 技術が受け継がれています。
手抄き和紙から機会抄へ
日本では
1874年になり、
機械抄による紙の生産が開始。
宇摩地方(現四国中央市)では、1914年に宇摩機械抄製紙会社が設立。
スウェーデン製長網抄紙機を外部から取り入れたのが始まりです。
その後、手抄き業者が 機械抄紙の総合産地化の第1歩を踏み出し、今日では、無駄のない効率良いマシンによって 様々な分野の紙が生産されています。
宇摩地方の製紙会社は大小80社程あります。
特に
全国シェアが60%を超える書道半紙は手抄きから機械抄に替えた企業によって
生産されており和紙作りのやり方がいかされています。
トイレットペーパーの生産も宇摩地方(現四国中央市)の製紙会社が初めておこなったものです。